ZK通信

経 歴

1973年生まれ 鹿児島県大口市(現在の鹿児島県伊佐市)育ち

小さい頃から車が好きでミニカー、ラジコンと車に関する遊びはしますが、やっぱり実際の車が大好きで

小学生の時は父親の車のオイル交換について行って、入れる新品のオイルは黄色や緑色や赤い色なのに、なぜ交換の時に車の下から出てくるオイルはいつも黒いの?

オイルの交換はするのになぜガソリンの交換はしないの?

なぜガソリンは減るのにオイルは減らないの?

と車 特にエンジンについて不思議に思う事が沢山の少し?変わった小学生でした。

中学の時もそんな疑問は解決しないまま。 でも車、エンジンの大好きな中学生時代を過ごします。

 

1992年 鹿児島県立大口高等学校 普通科卒業

中学生の時は工業高校へ行って早く車 エンジンの勉強をしたいと希望していましたが、「車の勉強は大学に行かせるから高校までは普通科に行きなさい」と言う両親の説得に応じ地元の普通高校へ。

高校生になるとバイクの免許が取れる年齢でもあるため、周りの同級生はバイク好きが多い中、殆どバイクには興味を示さず、相変わらず車とエンジンが大好きな高校生でした。またこの年齢になると車、エンジンの雑誌や図鑑、参考書などを読みあさって、基本的なエンジンの構造などは理解している、頭でっかちで車、エンジンの事は何でも知っている気になっていた、ある意味ませた高校生でした。 今思うとこの頃が1番 車、エンジンの事を知っている気になっていた年代だったと思います。

また18歳になり運転免許を取得後は憧れだった車を自分で運転出来る嬉しさも相まって用事も無いのに車に乗っている、車の事しか考えていない時間を過ごします。

 

1994年 川内職業能力短期大学校  機械システム系生産技術科 卒業(現在の九州職業能力開発大学校附属 川内職業能力開発短期大学)

エンジンの勉強を中心にしたいと思って入学しましたが、機械科だった事もあり、金属の材料、溶接、旋盤 フライス盤、NC、マシニングセンター等の機械全般を習います。元々機械が好きだった事もあり、エンジンの授業以外も楽しく勉強。

エンジンの分解組み立ての実習では自分が分解して組み立てたエンジンがかからず居残り。 だだっ広い実習場に授業が終わった後に1人毎日通い、床に座り込んで何度も分解組み立てを繰り返しました。今思えば先生はエンジンが掛からない原因を分かっていたと思いますが、何も手助けする事なく暖かく?見守ってくれました。そんなこんなで1週間後、みかねた先生が手助けしてくださり、外は暗くシャッターも閉まった実習場で「マフラーつける時間もないし掛かるからそのまま掛けろ!」と頼もしい言葉の元セルを回すと、閉ざされた空間の中で鼓膜が破れそうな位の爆音と共にシリンダーから物凄く高速で定期的に出てくる青白い炎に エンジンが掛かった喜びと、エンジン単体で始動して固定もせず床に直置きなので暴れるエンジンを両手で抑え、手に伝わってくる振動と迫力のある音に何とも言えない感動を覚えました。またその時に見たとても綺麗な青白い炎は今でも忘れられませんし、あの青白い炎に魅了されて今の自分が有るのだろうと思います。 ちなみに多気筒のエンジンを想像されていると思いますが、その時のエンジンはホンダの50ccのカブのエンジンです。

 

1994年 職業能力開発大学校 産業機械科 編入学(現在の職業能力開発総合大学校)

短大での授業は楽しいでしたが、大好きなエンジンの勉強をもっとしたいという思いと、この場では伏せますがもう1つの目的(就職先)の為に短大の本校に当たる4年生大学の3年生へ編入学。 編入後は希望通りの内燃機関(エンジン)研究室へ所属。

この頃研究室の先生にそんなに車が好きならと促されて自動車技術会へ入会(現在も会員)。 自動車技術会に入会した事がきっかけで目標にしていた就職先に疑問を感じる事があり、何の為に嫌いな英語や数学等の勉強をして編入までしたのだろうと思い悩み、両親や友達に心配をかけた時期でもありました。それだけが原因ではありませんが単位が足りなくなり留年する事に。

 

1997年 同大学同科 内燃機関研究室 卒業

目的はかわったけれどせっかく編入した大学なので卒業しよう、それに車が好き エンジンが好きと言う気持ちは変わりませんでした。 それと編入して思い知らされたのが、周りの友達を含めみんなのレベルが高い事。自分の知識や生まれつきのレベルの違いを感じた時でもありました。また留年した事で他の友達よりも研究室に居る時間が長く、研究室の先生と過ごす時間が長かったのも僕にはプラスになりました。そして今振り返ってもその先生ほど頭の回転が早く、知識も豊富な人を僕の人生のなかで見たことはありません。そんな先生がなぜだか僕の事を高く評価してくれていた事もうれしいでした。そんな僕にエンジンの理論を教えてくださった先生の1回目の授業の最初の言葉が「この教科書に書いてある事は今まで色々な人が研究や実験を行って正しいだろうと思われる事が書いてあります。でも本当にそれが正しとはかぎりません。ただ授業なので採点をしなくてはなりませんから、この教科書が正しいと仮定して授業を進めますしテストも行います。みなさんが勉強をしてこの本に書いてある事について間違いを見つけたら書き直して下さい」と言われおもしろい事を言う先生だなと思ったのを覚えています。そんな先生の教えの元、周りの友達の力も借りながら研究室でエンジンベンチ(動力計)を回しエンジンの理論などの勉強に励みます。

大学で取得した機械全般の免許  整備士免許や自動車整備科の職業訓練校での先生の(職業訓練指導員)免許など

 

1997年4月~ 鹿児島県内のチューニングショップで修業

僕が自分の就職先を考えている時に一番情熱をもって車に接していると感じたのが短大生、大学生時代にお客さん?としてお世話になっていたショップの社長さんでした。そんな熱い物を感じていた社長さんに「僕も自分で店がしたいです」と卒業後お願いして修業をさせてもらいました。大学生の時の長期の休みの際は手伝いとしてお店の仕事を教えてもらいながら少しだけ作業もさせてもらいました。 ここでは学校では習わない 理論と実際の現場の違いをたくさん思い知らされました。 それと体力がとても必要な事も教わったと思います。

 

2000年 ツァオバークラフト開業

HKS創業者の長谷川社長が初めてお店を訪問された際にテーブルの上に置いてあった自動車技術会の学会誌を手にされ「日本中のお店を見て回ってきたけれど、この本が置いてある所は初めてだよ」と言われ、後日「志を高くしっかりと勉強をされている様子を知り驚きました」と丁寧なお手紙を頂いて、認めて頂けたような気がしてうれしかったのを覚えています。

長谷川社長が訪問した際の写真

また大学を卒業した際に取得した職業訓練指導員の免許のおかげか、お客様からは説明が分かりやすいとよく言われます。

そんな感じで普通の方よりは車、エンジンに関して少しは詳しくはなりましたが未だに知らない事、分からない事がいっぱいです。それは1つ理解すると2つ不思議な事が出てくるからだろうと思います。分からないから魅了されているのでしょうし、面白いのだともおもいます。これからももっともっと上を目指して、大好きな車の事、エンジンの事をもっと知りたいと思います。 そして僕でわかる事であればお客様の楽しいカーライフのお手伝いが出来ればと思います。

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